【書評】「転換期を生きる教師の学びのカタチ」赤坂真二・堀裕嗣

【書評】「転換期を生きる教師の学びのカタチ」赤坂真二・堀裕嗣
◆感想
一言で表すと、赤坂先生と堀先生の「アクティブラーニング」です。
相手の意見を受け入れ、自分なりに考え思考を深める、深めた思考を元に新たな論を展開する。
理想的なアクティブラーニングの形だと感じます。
このレベルで会話ができるようになりたいと思いました。
◆若手のあり方
序盤の若手の先生のあり方への危機感は、読んでいて痛いほど身に染みました。
確かに、講演で話している人は自分の「論」を発表しているのであり、「人」を崇拝するようになってしまってはいいことはないでしょう。しっかり区別すべきだと改めて思いました。
これは今の学校教育で、理想とされるメンターに出会いにくいという実情もあるかと思います。
多忙で肩で息をしている先輩を見て尊敬の気持ちが生まれるかといえば、なかなか難しいでしょう。
そんな中、生き生きと輝く実践を発表する登壇者に「憧れ」や「憧憬」をもってしまうのは無理からぬことだとも感じます。
◆世代の壁
「教師のあり方」は「世代」によって左右されるのだと実感しました。
社会の変化の大きい現代では、ほんの数年でも「世代」の考え方が違います。
この世代の差によって生まれる「世代間ギャップ」は仕事を進める上で大きな障害になります。
お二人の先生のように多様性のある方であればまだしも、多くの学校現場では教員の対立が起こります。
「いじめを止めるはずの先生が、職員室でいじめをしている」
というのは珍しい話ではないでしょう。
「世代によって考えかたは違う、だからお互いの考えを尊重する姿勢が大事」なんてことは、全員わかっている問題のはずです。にも関わらず対立が起きてしまうのは「共感」を前提としているからだと思います。
「共感」は大事ですが、同時に「同調圧力」を生みます。
同調圧力が存在するところに「お互いの意見を尊重する」という矛盾した現象はおこるはずがありません。
そして、本当に大事なことは「共感しない」ということだと思います。
- あの人の考えは納得できない
- 新人は何もわかっていない
- ベテラン世代の考えは時代遅れだと思う
そう感じる意見を「共感できないけど受け入れる」という姿勢が基本となるべきだと思います。
そうして理解できないまま受け入れて初めて「多様性」のある環境になり、職員室の無駄な対立も減るのかと思います。
◆子供の育てかたと大人の育て方
もう一つ感じたことは「子供を育てる方法と大人を育てる方法は違う」ということです。
後半、堀先生が後輩教師を育てるシーンが出て来ます。それは今の職員室ではあまり見られない育成方法だと思います。
しかし、大人を育てるには確かに効果的です。
なぜ、堀先生のような育成方法が今の現場ではほとんどできないのか?
それは、「教師」という存在は「子供を育てるプロであっても、大人を育てるプロではない」という事実が原因だと思います。
現場で働いている時より「なぜ教員の研修はつまらないのか?」という問題意識はありました。
(「教師が講師をする研修がつまらない」というのは医者の不養生のようなコント性を感じます。)
私の考えは「教師は子供を育てるプロであっても、大人を育てるプロではない」からです。
これは、日本の学校教育は「教員人材の育て方に対して無頓着だった」のではないのか?
というのが、私の今の問題意識にも繋がっています。
本書を読んでもそれが強く感じるシーンが多かったように思います。
終わりに
学校に限らず、社会は階層的になっていることが多いです。
そして、自分より上の立場の人の考えは上の立場になってから初めてわかることが多いです。
しかし、事前に上の立場にいる人の考えを知ることで今の立場でやるべきことが見えてくるものがあるでしょう。
そうした意味で多くの先生の上の立場にいる赤坂先生、堀先生の考えを深く知れる良書ですのでおすすめしたいと思います。